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釧路地方裁判所帯広支部 昭和53年(ワ)199号 判決

原告 金田成子

被告 日本電信電話公社

代理人 畑山昭信 野村裕 小林千修 橘田博 ほか七名

主文

被告が昭和五三年一一月九日付けでした原告を戒告するとの懲戒処分は、無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

第一  請求原因一項(身分関係)及び二項(本件処分の存在)については、当事者間に争いがない。

第二  処分事由の存否について

一  頸肩腕症候群長期り患者に対する総合精密検診実施に至る経緯

1  被告の主張一の1の(一)の(1)、(2)の北海道における被告従業員の頸肩腕症候群の発生状況及びこれに対する被告の対応の模様の各事実については、当事者間に争いがない。

2  <証拠略>を総合すると次の各事実が認められる。すなわち、

(一) 右争いのない経過のとおり被告における頸肩腕症候群のり患者数は減少したが、いまだ治ゆしていないり患者のうち発症後三年以上を経過しても治ゆしていない者の占める割合が大きく(北海道においては七五パーセントを占める。)、このことは全国的規模で問題となり、全国の健康管理医の研修会や全国電気通信局保健課長会議などにおいても、これら長期り患者についての対策の必要性が議論された。北海道においては、昭和五二年の春闘において道地本は北海道電気通信局長に対し、頸肩腕症候群のり患者の早期回復を図る立場から、本症の発生原因追究とその解消策、り患者に対する回復のための手だてと企業責任のあり方についての今後に向けての基本姿勢を具体的に明示するよう要求した。これに対し、北海道電気通信局長は、頸肩腕症候群の発生原因等については、関東逓信病院のプロジエクト・チームをはじめ、関係各方面の専門医等が医学的な検討を重ねて追究しているところで、いまだ解明されていないけれども、被告は電話交換職に本症が多発していることを重視し、この根絶を基本に予防策、治療に専念できる特別措置及び職場環境の改善等については全公社的に対処してきたところである。今後ともこのような基本姿勢に立つて予防体操の定着化を図るとともに全職員を対象とした基礎体力づくりを行うこと、健康管理従事者とり患者とのコミユニケーシヨンを深め、早期回復の意欲を更に高めること、長期り患者を対象に入院治療を行うことなど専門医の意見を徴しながら、被告としてでき得る諸対策について積極的に取り組む考えである旨の回答をし、団体交渉においてもこれらの対策についての議論がされた。

そして、被告は、昭和五三年三月札幌市において北海道内の健康管理医、札幌逓信病院健康管理科部長、整形外科部長及び精神神経科部長を集めて健康管理医の打ち合せ会を開催して議論したが、本症の発症原因についていまだ医学的に十分な解明がされていない現状においてその早期回復を図るためには、単に整形外科のみならず、内科、精神神経科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、産婦人科、更には個々の症状に応じて他の科を含めた人間ドツク的な検診が必要であるとの意見が強く出された。また、そのころ行われた被告と道地本との話し合いにおいても、道地本から人間ドツク的な検診が必要である旨の意見が強く出された。

このような経緯を反映して、道地本は、昭和五三年七月一九日から二一日まで函館市で開催される第三〇回定期全道大会に提案する同年の活動方針案に頸肩腕症候群対策を盛り込み、その中で頸肩腕症候群り患者のうち長期にわたつている者(原則として三年以上)を対象に総合精密検診を実施し、医学的立場から療養のあり方を含めて具体的指導を徹底させるとの方針を明らかにし、右の活動方針案を掲載した議案集を作成して昭和五三年六月一五日付けの機関紙「全電通北海道」の号外として下部機関に配布した。右議案集は同月下旬には帯広局の各職場にも配布され、各職場での討議を経て分会の意見がまとめられ、更に分会の上部機関である釧路支部の意見に集約されて定期全道大会に至つたが、その過程において、右の頸肩腕症候群対策についての方針案に対し、否定的な意見は出なかつた。

(二) 被告(北海道電気通信局長)と道地本は、前記定期全道大会に先立つ昭和五三年七月一四日の団体交渉において、頸肩腕症候群の長期り患者に対する総合精密検診を行うものとすることで合意し、頸肩腕症候群長期り患者等の総合精密検診の実施についてという標題の被告の主張一の1の(一)の(3)掲記の協約を締結した。

そして、第三〇回定期全道大会において、前記活動方針案が満場一致で決定された(昭和五五年七月一四日右協約が締結されたことは当事者間に争いがない。)。

(三) 道地本は、右協約締結に至る交渉の経緯について、各支部長、各分会長宛の「頸肩腕症候群(職業病)のとりくみについて」と題する昭和五三年四月一八日付け文書(全電北第二六号)を配布して、長期療養者(健康管理対象)に対しては、逓信病院の整備拡充(リハビリを中心とした整備が進行中)などを考慮しながら、精密検診を中心として療養のあり方について抜本的な対応をすべく交渉中であるので、別途具体策が決まり次第指導することとするので承知されたいとの指示をしていたが、右協約締結の前日である昭和五三年七月一三日釧路支部に対し、前記の要領で頸肩腕症候群長期り患者の総合精密検診を行うこととなつた旨連絡した。同支部執行委員長は、右連絡を受け、即日各分会長に伝達し、これを受けた帯広分会は、昭和五三年七月三一日発行の広報紙「全電通おびひろ」に右の要領で頸肩腕症候群長期り患者の総合精密検診を行うこととなつた旨の記事を掲載して組合員に周知させた。

(四) 被告は、右協約に基づき左記の要領により総合精密検診を行うことを決定し、昭和五三年八月七日北海道電気通信局職員部長名で帯広局長を含む各機関長等に対しその旨を通達した。

1 目的

頸肩腕症候群長期り患者等の総合精密検診を行つて疾病要因を追究し、その結果によつて治療及び正しい療養等の指導を行い、早期健康回復を図る。

2 対象者

(1) 発症後三年を経過している者で、かつ病状の回復が認められない者とする。

(2) 前(1)以外で健康管理医が必要と認めたものとする。

3 実施方法

(1) 実施医療機関等

札幌逓信病院とし、整形外科を中心として関係科の検診を行う。具体的には整形外科、内科、精神科、皮膚科、眼科及び耳鼻咽喉科とするが、症状に応じて他科の検診も行う。

(2) 検診期間

二週間程度とし、入院させて行う。

(3) 実施人員

一回四名程度とする。

(4) 健康調査の実施

受検者の問診に代えて調査票(別途作成送付)による健康調査を行う。

なお、本調査票は、あらかじめ受検者が記入し、受検時に整形外科部長に提出すること。

(5) 実施時間

昭和五三年八月中旬からとする。

4 対象者の選定

健康管理医が行う。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二  被告の健康管理体制及び原告の健康管理状況

1  被告が被告の主張一の1の(二)のとおり、職員の健康管理につき、健康管理規定を設けた上職員の健康診断を行い、検診の結果管理が必要な職員に対して健康管理指導を行つていること並びに原告が頸肩腕症候群と診断されて被告の健康管理指導を受ける一方、業務災害の認定を受けたこと、その治療状況が被告の主張一の1の(三)の(1)、(2)のとおりであることはいずれも当事者間に争いがない。

2  そして、<証拠略>によると、被告(北海道電気通信局長)は、昭和五三年九月一二日前記協約に基づく第四回目の総合精密検診を同年一〇月五日から一八日までの間行うこととし、その対象者を釧路健康管理所の健康管理医の意見に基づき、帯広局の原告及び訴外中田良子と決定し、同年九月一四日付け文書で帯広局長にその旨通知したこと、帯広局においては、これに先立ち、同年八月一八日釧路健康管理所から帯広局としては、第一回目の対象者として原告及び訴外中田が選定された旨の電話連絡を受けていたこと、そこで岩渕運用部長は、同年八月二一日分会に対し、同年一〇月五日から一八日まで札幌逓信病院で右両名の総合精密検診を行う旨説明し、この説明を受けて分会の村上書記長は、同年八月二一日右両名にその旨通知したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三  原告の業務命令不服従

<証拠略>を総合すると、次の各事実が認められる。

1  原告が村上書記長から本件総合精密検診の対象者に選定されたとの連絡を受けてから、帯広局内において原告を中心とする頸肩腕症候群り患者グループ(以下「り患者グループ」という。)から、本件総合精密検診に対する疑問が提起され、そのため昭和五三年八月三一日分会執行部として合林分会長及び村上書記長らが出席して約二〇名のり患者グループと話し合つた。その際、り患者グループから、本件総合精密検診はその目的が不明確であること、疾病要因が他に転嫁されて業務上災害認定解除になるおそれがあること、札幌逓信病院は信頼できないことなどが指摘された。分会長らは、これに対し本件総合精密検診に関する協約が道地本の段階で締結されたものであることから、上部機関と協議して回答する旨答えたが、話し合いに出席したり患者は、その回答があるまでは受診しない旨の意思統一を行つた。

2  その後被告の帯広局岩渕運用部長が原告に総合精密検診を受診するよう指示したこと、これに対する原告の対応、その後に原告に対し受診方の業務命令が発せられたが原告が受診を拒否したこと等は被告の主張一の1の(四)の(1)ないし(3)のとおりで、この点については当事者間に争いがない。その点を詳説すれば次のとおりである。

3  分会執行部は、原告が本件総合精密検診の受診を拒否し、業務命令に服従しなかつたことを重視し、道地本に対して役員の派遣を要請した。道地本は、同年一〇月一一日から一三日まで執行委員長らを帯広局に派遣し、り患者グループと話し合いを行つた。り患者グループは、〈1〉本症の発生原因がいまだ不明であるというのはおかしい、〈2〉総合精密検診の目的が不明確である、〈3〉札幌逓信病院は信頼できない、〈4〉整形外科以外の科についての総合精密検診の必要性があるか、〈5〉検診の結果、本人に不利益が生じた場合の対処方法はどうか、〈6〉原因が他に転嫁されるのではないかなどの問題を指摘した。これに対し道地本は、〈1〉本症が職場から発生したことは明らかであり、したがつて、本件総合精密検診を職業病に対する取組の一環として位置づけているが、症状的に個々の違いがあり、その要因として多様な原因が考えられるところから「発生原因がいまだ不明」としているものであること、〈2〉総合精密検診の目的は、協約に明らかであるとおり、疾病要因を追求し、その結果によつて治療及び正しい療養の指導を行い、早期健康回復を図ることにあること、〈3〉札幌逓信病院は、被告が設置し、その運営をしている病院であるが、医者と患者との立場では正常な医療機関であり、治療において組合員と管理者、企業内の者と企業外の者とで差別があるとは考えられないこと、〈4〉従来の治療体制でも完治し、快方に向つている人も多くいるのに、長期にわたつて症状が軽快していない者がいるとすれば、本人の不安を除去し、更にはより良い治療方法を見い出し、効果的な治療を行う必要があるため総合精密検診の必要性があること、〈5〉検診結果は、これにより本人に不利益が生じるという性格のものではないこと、〈6〉総合精密検診の目的からすれば、本症が他の病気に転化されることはないことなどを内容とする道地本の見解を示してその立場を説明したが、結局り患者グループの納得を得るには至らなかつた。

4  原告は、昭和五三年一〇月二一日赤石労務厚生課長に対し、自分の選んだ病院で検診を受けるので具体的な検診項目を教えてほしい旨尋ねた。同課長は、岩渕運用部長に報告するとともに、北海道電気通信局に照会したところ、総合精密検診に行つて医師と対応してみなければ個々の項目はわからない旨の回答を得たので、照会結果も同部長に報告した。

5  岩渕運用部長は、業務命令に服従しないということが非常に重要なことであることから、原告に対し再度受診の機会を与えようと考え、昭和五三年一〇月二七日原告に対し、一一月九日から総合精密検診を受診するよう業務命令を発した。これに対し、原告が右命令に対する態度を留保したので、同部長は一〇月三〇日までに諾否の返事をするよう求めた。

原告は、同年一〇月三〇日り患者グループの代表者訴外山本宏美と共に同部長の許に行き、先ず、検診項目を尋ねたところ、同部長は、先に赤石労務厚生課長から報告のあつたとおり、総合精密検診に行つて医師と対応してみなければ個々の項目はわからない旨答えた。これに対し、原告は、同部長に対し、札幌逓信病院は信頼できないから総合精密検診は受診しない旨述べて前記業務命令に服従することを拒否した。

以上の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  業務命令の無効の主張について

原告は、本件総合精密検診の実施場所を札幌逓信病院として発せられた本件業務命令は労働者に使用者の指定した医師の健康診断を受けることを拒否する権利、すなわち医師選択の自由を保障した労働安全衛生法六六条五項但書に違反するから無効であり、また、受診を命じるに当たつて、具体的な検診項目も明示しなかつたから、この点からも右業務命令は無効である旨主張するので以下この点について検討する。

1  被告と道地本の間で合意された本件総合精密検診実施についての協約がその実施場所を札幌逓信病院と定めていることは当事者間に争いがないところ、<証拠略>によると、実施場所を札幌逓信病院と定めた理由は、被告が本件総合精密検診は検査すべき項目が多いことから、これらの専門家のいる病院であることが必要であること、検査をする各専門家の所見を総合して疾病要因の究明を図るとともに今後の有効な施策が見い出されるような検討態勢が確立できる必要があること、長期間にわたつてベツドの確保が可能であること、本件の検診が計画的に実施できることなどが要求されるところ、札幌逓信病院は右の各要求に応えられるものであることに加えて、北海道における被告の職域病院としてのセンター的役割を果しているものであり、職域病院としての立場から各主治医に対して精密検診に協力を要請し易いこと、札幌逓信病院の各医師は、職員の健康管理を行つていて日常各健康管理医との意思の疎通が十分図られるし、検診結果に基づく指導も生かされること、頸肩腕症候群に関する業務上災害の認定のための検診は札幌逓信病院が行つていて、本症診療の実情が豊富であることなどから、札幌逓信病院を本件総合精密検診の実施場所とするのが最良であると考えたほか、道地本からも札幌逓信病院以外にはないとの意見が表明されたため、札幌逓信病院に決定されたことが認められる。

2  ところで、労働安全衛生法は、昭和四七年六月七日従来労働基準法の第五章「安全衛生」の抽象的規定をもとに労働省令に委ねてきたその細目を内容として独立の法律として公布されたものであるが、その第七章において労働者の健康管理について規定し、健康診断については、事業者は労働者に対し、労働省令で定めるところにより、医師による健康診断を行わなければならないと規定している(六六条一項)。これを受けて労働安全衛生規則(昭和四七年労働省令第三二号) 四三条、 四四条は、事業者は常時使用する労働者を雇い入れるとき(雇い入れ時の健康診断)及び常時使用する労働者に対し、一年以内ごとに一回、定期に健康診断(定期健康診断)を行わなければならない旨定めるほか、その四五条ないし四八条において、労働安全衛生法六六条二項ないし 三項の定めに対応する特別の健康診断を行わなければならない旨規定している。同法の趣旨が労働基準法と相まつて、労働災害の防止に関する総合的計画的な対策を推進することにより職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な作業環境の形成を促進することを目的としていること並びに事業者が、病者を就業させると当該労働者の健康が害され、他の労働者に対する悪影響もあることを考慮して、右各健康診断の結果により、労働者の健康を保持するため必要があると認めるときは、当該労働者の実情を考慮して就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等の措置を講ずるほか、作業環境測定の実施、施設又は設備の設置又は整備その他の適切な措置を講じなければならないとし(同法六六条七項)、更には伝染病等の疾病にかかつた労働者については、その就業を禁止しなければならないこととしている(同法六八条、同規測六一条)ことを考えると、同法が右の各健康診断の義務を定めたのは、労働者の職種、業務内容、就労場所、労働時間等の労働条件を定めるに当たつては、当該労働者の健康保持の必要も考慮してこれを定める必要があることから、その前提となる身体的条件についての判断を医師の立場からの専門的所見に委ねることにより労働者を保護しようとする趣旨であると解するのが相当である。

そして、同法は、右の事業者の健康診断を行う義務に対応して、労働者に対してもこれに協力すべき義務を負わせることとし、六六条五項において、労働者は事業者が行う右各健康診断を受けなければならない旨定めているのであるが、労働者に対し常に事業者の指定する医師による健康診断を受けなければならないものとするときは、事業者に指定された医師が事業者の意を受けて恣意をもつて診断をする虞がないとはいえないから、このような場合にまで当該医師の行う健康診断を受ける義務があるとすると労働者の被る不利益が大きく、その保護に欠けることとなるので、同項但書は、労働者が事業者の指定した医師の行う健康診断を受けることを希望しない場合には、他の医師の行う右健康診断に相当する健康診断を受け、その結果を証明する書面を事業者に提出したときに限りその義務を免れることができるとしているのである。

以上のように労働安全衛生法は、必ずしも事業者の指定した医師によることを必要としないが、労働者に同法に定める健康診断に応ずべき義務を原則として課しているのである。

3  本件総合精密検診は、前認定のとおり疾病要因を追究し、その結果によつて治療及び正しい療養の指導を行い、早期健康回復を図ることを目的として労使間の協約に基づいて実施されるものであるから労働安全衛生法六六条一項ないし 四項所定の健康診断とはその目的を異にするものと解される。したがつて、同法の条項を根拠にして原告に受診の義務を認めることはできない。

しかし、頸肩腕症候群対策、り患者対策として被告の講じた措置が万全であつたかどうかはともかく、前記のとおり被告としては一応の措置を講じ、その結果り患者数の減少をみているし、長期り患者である原告に対しても、長期にわたつて労働軽減等の措置を講じていることも当事者間に争いのないところであつて(その詳細は被告の主張一の1の(一)の(1)、(2)及び一の1の(三)の(1)、(2)のとおりである。)、これらの事情を考慮すると、被告が疾病要因を追求し、その結果によつて治療及び正しい療養の指導を行い、早期健康回復を図ることを目的として、本件の総合精密検診を実施するについて、原告において特に加重な負担を伴うものでない限り、これに協力すべき信義則上の義務があると認めて不当とも考えられない。しかるところ本件総合精密検診の実施については、労使間の協約が存することは前記のとおりであつて、本件総合精密検診の実施が右労働協約の実行たる側面をも有することは明白であるところ、右協約締結に至る前認定の経緯のほか、原告が長期にわたつて受けた労務軽減等の措置の内容等に照らすと、二週間にわたり札幌逓信病院に入院して受診すべきことをもつて直ちに原告に加重な負担を強いるものということはできない。

なお、原告は、本件総合精密検診の目的は専ら頸肩腕症候群と同様の症状を呈する他の症病の有無を判断する鑑別診断を行うことにあると主張するが、そもそも業務災害の認定を受け、各種の補償を受けている場合に、鑑別診断を行うことは本来許されていることであつて、そうだとすると被告が検診結果をそのような目的に使用しないと明言しているのであるから、本件総合精密検診が原告主張の鑑別診断の実質を有するものということはできないと認めて相当である。

以上の点からすると、札幌逓信病院を実施場所とする総合精密検診は相当の合理性があり、かつ労働協約の実行たる面も存するので、それが原告に加重な負担を強いるものでない限り、原告においてこれに応ずべき義務を認めても不当ではない。

4  しかるに、被告が原告に対し、本件総合精密検診の具体的検診項目を明示しなかつたことは被告において自認するところ、被告は、本件総合精密検診の目的から考えると、個々の専門分野における具体的検診項目は、り患者個々の症状によつて異なるから、当初からこれを予想するのは困難で、り患者の症状に応じて医師の判断に委ねられるべきであつて、検診科目のみでなく、より具体的な検診項目を告知することは被告に不可能を強いるものである旨主張する。

しかし、具体的な検診項目は個々のり患者の症状に応じ、医師の判断に委ねられるのが相当といい得るとしても、被告の右主張は、にわかにこれを首肯できない。すなわち、<証拠略>によると、被告の頸肩腕症候群プロジエクト・チームは、り患者について筋電図検査、血液検査、尿検査、脳波検査、レントゲン検査、その他の各種検査を駆使して、病態生理を中心として専門医学的究明を試み、その結果を昭和五一年四月一五日に被告に報告していることが認められるのであつて、このことのみからしても、少なくとも標準的な検診項目は被告において充分認識していたものと推認できる。のみならず、原告が対象者として選ばれた本件総合精密検診は、前認定のとおり、実施要領に基づいて実施される第四回目の検診であつて、右要領によれば一回四名程度の検診を行うこととされているから、原告より以前に約一〇名程度が受診しているものと推認され、検診の実績もないわけではないのであるから、検診科名のみではなく具体的な検診項目を告知することが被告に不可能を強いるものであるとの被告主張は首肯し難いものといわなければならない。このことは<証拠略>により認められる次の事実、すなわち、昭和五五年八月八日に成立した全電通労組(中央)と被告との協約においては、具体的検診項目はり患者の症状等に応じて専門医が判断するものであり、画一的に定められるものではないとしながら、標準的に考えられる検診項目を整形外科、内科、神経科、眼科、耳鼻咽喉科、その他の科の検診区分に分けた上、合計一八にわたる検診項目を掲げていることからも窺うことができるのである。そして、本件総合精密検診は、全国に先きがけて北海道において実施されるものであり、しかもその初期の段階のものであつて、帯広局においては初めてその対象者に選ばれたというのであるから、原告においても本件総合精密検診の実施に至る経緯については、これを予知していたとは認められるものの、現に自分がその対象者になつてみれば、二週間も入院して具体的にどのような検診・検査を行うのかが判らないというのでは、危惧・不安の念を抱くのは当然である。したがつて、本件総合精密検診がレントゲン線照射や採血などの肉体的侵しゆう、苦痛を伴うものであることが抽象的、一般的には判つていたのであるから、本件検診に協力すべき義務が信義則上認められるものであるにすぎない以上、抽象的、一般的ではあるにせよ、当時判つていた範囲内でこれら肉体的侵しゆう、苦痛を伴うものであることを告知あるいは説明するのでなければ、業務命令としてその受診を命じ、これを強制することはできないといわなければならない。

これを本件についてみるに、被告が原告に対して業務命令として本件総合精密検診の受診を命じるに当たり、検診項目を告知しなかつたことは被告の自認するところであるが、被告としては、本件検診が全国でも最初の試みであることに思いを至し、原告の不安や危惧を解消して検診が円滑に実施されるよう努力すべきであつたと考えられる。ところが、被告は、具体的検診項目については、抽象的、一般的に考えられるものについてさえ告知せず、しかも、二回目の業務命令を発する前には、原告から現実に検診項目を教えて欲しい旨の要求があつたのに、これに応じないまま業務命令を発したものである。

本件総合精密検診は前記のとおりり患者の早期健康回復を図ることを目的とするものであるから、この検診についても医師選択の自由が存するとの原告の主張については、当裁判所は疑問なしとしないのであるが、その点はともかく、右のように被告において原告の要求にもかかわらず、検診項目を明らかにしなかつた一事をもつて、その受診を命じる本件業務命令は無効と断じざるを得ない。

5  以上のとおり、本件業務命令は無効であるから、これに従わなかつた原告の行為を理由として、原告を懲戒処分に付することはできない。

三  原告の職務放棄

<証拠略>によると、帯広分会は、昭和五三年一〇月三日原告に対して本件業務命令が発せられたことについて対応策を検討したが、本件総合精密検診は労使の協約に基づいて実施されるものであるから、これの受診を命ずる業務命令の撤回を求めることは組合の立場とは相容れないものであるため、同日釧路支部に対して状況を報告するとともに対応策についての指示を求め、その指示に基づき岩渕運用部長に対し業務命令発出の根拠を質したところ、同部長は地方交渉で労使が合意した協約を履行するためのものである旨答えたこと、分会は、同日夜分会委員会を開催中であつたところから急遽この問題について討議し、最終的には執行部にその対応を一任することになり、委員会終了後執行部担当者が原告に架電して業務命令に従うよう説得したが、原告は検診には疑問があり、職場からの疑問点が解明されていない等の理由を挙げて受診を拒否する旨答えたこと、分会執行部は、同年一〇月六日本件総合精密検診が労使確認事項であるという立場に立ちつつも、業務命令発出という形にまで発展したことを重視してその究明を図るべく、被告に対し同年一〇月九日に団体交渉を開催するよう申し入れるとともに以上の経過を「全電通おびひろ」に掲載して同年一〇月六日組合員に配布したこと、分会が要求した団体交渉は同年一〇月九日午後三時から帯広局局舎三階の会議室で開催されることになつたが、分会執行部は、運用部を中心とする職場から公開による団体交渉とするよう要求があつたので当日午前中被告と交渉したが被告がこれを拒否したため、当日の団体交渉は非公開で行う旨運用部の小杉分会委員を通じてり患者グループに伝えたこと、団体交渉は、午後三時から三階の会議室で開かれ、被告側から局次長及び岩渕運用部長ほか三名が、分会側から合林分会長ほか八名がそれぞれ交渉委員として出席したこと、団体交渉の席上被告が原告に対する業務命令発出についての説明をしていたところ、午後三時一五分ころ原告ら一二名の女子職員が団体交渉を傍聴するため会議室に入つて来てそのうち何人かは奥に置いてあつた椅子を持ち出して座ろうとしたこと、被告の交渉委員である赤石労務厚生課長が分会側交渉委員に抗議したところ、合林分会長らが立ち上り非公開の団体交渉であるから室外へ退去するよう指示したこと、しかし、女子職員の中から公開すべきである旨の発言等があり室内は騒然としたこと、合林分会長はとつさに公開、非公開の判断ができなかつたことから、室外で話をしようと考えて原告らと室外へ出て滝山執行委員とともに原告らと話し合つたが、団体交渉は公開が原則か非公開が原則かの問題となつたため、いつたん会議室に戻つて協約集を持参して再び廊下に出て協約の趣旨について説明をしたこと、合林分会長は、いつたん会議室へ戻つた際、村上書記長に対し休憩を取るよう指示したこと、村上書記長は、被告の説明が終了した午後三時二〇分被告に休憩を取るよう申し入れ、交渉が中断したこと、合林分会長は、公開か非公開かの問答が長引きそうな状況にあつたことから、たまたま釧路支部の副委員長と副調交部長が局舎一階の分会書記局に居合わせたので、書記局まで行つて右二名に応援を求め、右二名とともに会議室前廊下に戻つたこと、そこで釧路支部副委員長及び副調交部長から直ちに自席に戻るように指導がされたが原告らはこれに応ぜず、更に長引く状況であつたことから、合林分会長はこれら女子職員の服務の取扱いが心配となつて原告らに服務の関係を尋ねたところ、女子職員の中から年休で来たとの発言もあつたが、原告はその場を離れ二階の自席に戻つて行つたこと、原告が自席に戻り職務に服したのは午後三時二五分であつたことの各事実が認められる(原告が昭和五三年一〇月九日被告と分会との間の総合精密検診についての業務命令発出の問題についての団体交渉が行われていた会議室に他の女子職員とともに入室したこと、原告が合林分会長から他の女子職員とともに室外に出されたため、同室前廊下で分会長と話し合つた後自席に戻り職務に復帰したことは、いずれも当事者間に争いがない。)。

ところで、原告が会議室へ入室した時刻について、原告本人は午後三時一〇分近くであつたと供述し、証人川原智鶴子も午後三時七分か八分であつた旨原告本人の供述に副う証言をするほか、証人合林弘は午後三時一三分であつた旨証言しており、又、原告本人は自席に戻つて職務に復したのは午後三時一五分か一六分であつた旨供述する。

しかし、証人岩渕八郎は、当日被告の交渉委員として団体交渉に出席していた者であるが、原告らが会議室に入つて来たとき壁にかかつている時計を見たところ三時一五分であつた旨証言するところ、右証言は前掲乙一一号証の一ないし五の同証人を含む被告側交渉委員五名作成の各現認書の記載と一致してこれに裏付けられており、これに信を措くことができると考えられる反面、原告本人の供述は「三時一〇分近かつたと思います。」というものであいまいで、又証人川原智鶴子の右証言も同証人の証言によると時計で確認したものではないと認められる。

次に、<証拠略>によると、原告の上司である第二運用課長は原告が自席に戻つて職務に復した時刻を午後三時二五分であると確認したことが認められるところ、証人合林弘は原告らが会議室に入つて来てから廊下に出るまで約三分位経つており、廊下に出てから原告がその場を離れて自席の方へ戻つて行くまで六分ないし七分間経つていた旨証言している。前記のごとき団体交渉が中止された後の経過からすると、この証言は首肯できるところである。そうすると、原告が自席に戻つたのは午後三時二五分ころと優に認め得るところであつて、この認定に反する原告本人尋問の結果等はいずれも措信できない。

そして、原告が当日午後三時から三時一五分までの間休憩時間を付与されていたことは当事者間に争いがないから、原告は、昭和五三年一〇月九日午後三時一五分休憩時間満了と同時に自席に戻つて職務に復さなければならないのに、午後三時二五分になつて自席に戻り職務に復したものであつて、その間一〇分間にわたり職場を離脱して職務を放棄したものであるというべきである。

六  処分事由に該当することについて

1  日本電信電話公社法三三条一項は

総裁は、職員が左の各号の一に該当するときは、これに対し、懲戒処分として免職、停職、減給又は戒告の処分をすることができる。

一 この法律又は公社が定める業務上の規定に違反したとき。

二 職務上の義務に違反し、又は職務を怠つたとき。

と規定し、更に成立について争いのない乙第一号証によると就業規則は五条一項において「職員は、みだりに欠勤し、遅刻し、もしくは早退し、または直属上長の承認を受けないで、執務場所を離れ、勤務時間を変更し、もしくは職務を交換してはならない。」と規定し、五九条は「職員は、次の各号の一に該当する場合は、別に定めるところにより、懲戒されることがある。」と定め、その一八号において「五条の規定に違反したとき。」とそれぞれ規定しているほか、六〇条において懲戒処分の種類を免職、停職、減給、戒告と定め、戒告は、文書をもつて責任を確認し、将来を戒められるものである旨規定している(六三条)ことが認められる。

2  そして、原告が職務を放棄した行為は、就業規則五九条一八号、五条一項に該当することが明白である。

第三  本件処分が無効であるとの主張について

一  日本電信電話公社法違反

原告が昭和五四年四月一日実施された定期昇給において、前年度の勤務期間中に戒告処分を受けたことがある職員の定期昇給は四分の一の割合に相当する額だけ昇給標準額を減じて行われる旨を定めた就業規則七六条四項三号の規定により、昇給標準額三五〇〇円の四分の一に相当する八七五円を減額されたことは当事者間に争いがない。原告は、右の昇給標準額の減額は、減給処分と同一の実質を有するものであるところ、右減額の効果は原告が被告の従業員としての地位にある間継続するものであるから、右昇給標準額の減額を伴う本件処分は、減給処分は一月以上一年以下の間俸給の一〇分の一以下を減ずる旨規定した日本電信電話公社法三三条四項に違反する旨主張するのであるが、同法三三条は被告にその職員を懲戒処分に付する権利を付与しているのであるから、当該職員につき懲戒処分に付されるべき事由が存し、かつ、その懲戒処分が適法な手段で行われている以上、その懲戒処分が無効となることはないというべきであつて、このことは就業規則上懲戒処分に付された者に対して一定の不利益な取り扱いをすることになつている場合でも何ら異なるところはなく、このような場合においては、その不利益取り扱いの是非を争うべき筋合いであつて、懲戒処分自体の無効を主張することは許されないと解するのが相当である。原告の主張は理由がない。

二  懲戒権の濫用

1  日本電信電話公社法三三条は、職員に懲戒に付すべき事由(処分事由)があるときは職員に対し懲戒処分を行うことができる旨規定しているが、懲戒権者が懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をするとしていかなる処分を選択すべきかを決するかについては何ら具体的に定めていない。したがつて懲戒権者は、処分事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該職員の右行為の前後における態度、処分歴、選択する処分の軽重等諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、懲戒処分をするとしていかなる処分を選択すべきかを決定することができると考えられるが、その判断は、右のような広範な事情を総合的に考慮してされるものである以上、平素から職場の事情に通暁し、部下職員の指導監督の任に当たる者の裁量に委ねるのでなければ、とうてい適切な結果を期待することができないものといわなければならない。したがつて、被告の職員につき、同法に定められた懲戒に付すべき事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うとしていかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。もとより、右の裁量は、恣意にわたることを得ないものであることは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。

2  これを本件についてみるに、本件処分の理由となる原告の非違行為は、前記認定のとおり一〇分間にわたり職場を離脱して職務を放棄したというものであるが、その態様は他の女子職員とともに団体交渉を傍聴するため、団体交渉開催中の会議室に立ち入り、一部の者においてその公開を要求して室内を騒然とさせ、更に、同室前において分会長らと公開、非公開をめぐり問答をしていたため、一〇分間にわたり職場を離脱したというものである。被告は、原告らの行為は、団体交渉に不当な圧力をかける意図のもとに、右会議室に入り、団体交渉を中断させたのみならず、再開不能に至らしめたものであり、まさに業務の正常な運営を阻害する行為とも評価し得るものである旨主張する。しかし、原告らに団体交渉に不当な圧力をかける意図があつたと認めるに足りる証拠はなく、団体交渉が中断し、再開されなかつたのも帯広分会側が休憩を申し入れたことによると認められるのである。もつとも、右休憩申入れの原因が分会側の原告ら女子職員との対応の必要からであつたことは、前記認定事実から明白であるが、原告が会議室内で団体交渉の公開を要求して室内を騒然とさせたとは認められず、一部の者が公開を要求する発言をしたのも、原告を含めて全員が予め意を通じてしたものではなく、被告の交渉委員である赤石労務厚生課長の抗議により合林分会長が室外へ退去するよう指示したことから、いわば偶発的に起つたものと認めるのが相当であるから、団体交渉の中断、再開不能の責任を原告に問うことはできない。原告の職務放棄の態様は、右のように不当、不法な行為に及んだというものではなく、原告は、その六日前に第一回目の業務命令を受けてその翌日にこれを拒否したものであるが、右団体交渉は、業務命令発出の問題をめぐつて最初に開催される団体交渉で、しかもこの業務命令に対する原告の疑問も相当の根拠があつたといえるので業務命令を拒否した当の本人である原告がこれに関心をも持ち、これを傍聴したいと考えるのは極めて当然で、このことは原告のために酌むべき事情として考慮しなければならないと考える。そして、<証拠略>によると、原告とともに会議室へ立ち入つた女子職員のうち、午後三時一五分から午後四時まで授乳のため勤務を免除されていた訴外清水博美に対しては、特例的勤務免除の時間を目的外に使用したことにより帯広局長から口頭による厳重注意の処分をしているに過ぎないと認められること、前説示のとおり、本件処分のもう一つの理由とされた業務命令拒否の行為については、これを処分の理由とすることは許されないことなどをも併せて考慮すると、当事者間に争いのない原告の過去の処分歴(昭和五二年九月八日、帯広局長による厳重口頭注意。)を考慮に容れても、原告が昭和五四年四月一日の定期昇給において昇給標準額三五〇〇円の四分の一に相当する八七五円を減額されるとの効果を伴う本件処分は、社会観念上著しく妥当を欠いたものといわざるを得ず、懲戒権を濫用したものとして、違法たるを免れない。本件処分は、無効というべきである。

第四  以上のとおりであるから、本件処分の無効確認を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡部崇明 渡邊等 高田健一)

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